• [1.企画] 最も過酷な年に帝国を築こうと奮闘した者たち
  • [2.キャスティング]10年来の共演の夢をようやく叶えた同窓生
  • [ 3 . 舞台] 最も犯罪が多発した危険な1981年のニューヨークを再現
  • [4 .衣装]オバマ大統領御用達の仕立て屋のスーツとアルマーニの高級コート
  • [ 5 . 撮影] 近年最も寒い年に撮られた、真の人間の物語
  • [ 1 . 企画] 最も過酷な年に帝国を築こうと奮闘した者たち

    J・C・チャンダー監督は、今にも爆発しそうな緊迫感に満ちていた1981年のニューヨークに憧れを抱いていた。両親や祖父母の友人に、その街で小さな事業を立ち上げ、大きく成長させていった人たちが何人かいたのだ。「起業はこの国には持ってこいだ。失敗する可能性も大きいけれどね」とチャンダーは指摘する。この時代についてリサーチした彼は、小規模な事業の大半は苦難の年月の上に築かれた家族経営であるという事実に驚く。成功した者もいれば、失敗した者もいる。そんな家族の話を知るにつれ、ニューヨーク史の中で最も過酷な時代に帝国を築こうと奮闘する夫婦の物語を思いついたのが、本作のきっかけだった。
    さらにチャンダーは、マンハッタンのミッドタウン、ガーメント地区で頻繁に起きた、大胆なカージャック事件を知る。トラックに積まれた市場で売られる予定の洒落た服が、フリーランスの窃盗団によってたびたび襲われたのだ。そこから着想を得たチャンダーは、服をオイルに変える。「オイルビジネスは移民でも無理なく始められ、粘り強く身を粉にして働けば、出世街道を駆け上がる可能性のある魅力的な事業だ。
    ファッション事業と同様にトラック輸送に頼っているが、オイルは盗まれても追跡できない。競合相手から盗むことは、いろんな意味で完璧な犯罪だ。自分のオイルと混ぜれば、利益を飛躍的に増やせるからね。」こうしてチャンダーは、オリジナルの脚本を完成させる。
  • [ 2 . キャスティング]10年来の共演の夢をようやく叶えた同窓生

    2013年5月のカンヌ国際映画祭で、チャンダーは監督2作目となる『オール・イズ・ロスト ~最後の手紙~』のワールドプレミアを開く。すでにチャンダーの熱心なファンだったジェシカ・チャステインが前列に座っていた。チャステインは彼の新作に感動し、長いスタンディング・オベーションの列に加わる。その後のパーティーで、彼女から次作について聞かれたチャンダーは、その場ですぐに出演を持ち掛けた。
    送られてきた脚本を読んだチャステインは快諾すると共に、チャンダーに友人で、名門ジュリアード学院の同窓生であるオスカー・アイザックの起用を提案する。アイザックがコーエン兄弟監督の『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』の演技で、その名を一気に世界に知られる直前のことだった。
    チャステインはチャンダーに4ページにもわたるメールを送り、アイザックがアベル役にいかにふさわしいかを力説した。チャンダーはそのメールに、1行だけ返信したと言う。“彼をキャスティングするけど、まだ伝えないでくれ”と。
    学生時代に出会ってから、ずっと共演を願ってきたチャステインとアイザックは、スターダムに上がるまでの10年間ずっと連絡を取り合ってきた。彼らは撮影前に二人で、モラレス夫妻の人物像について深く掘り下げたと言う。一緒に脚本の1行1行について話し合い、出身地やいくつの時に出会って恋におちたかなど、夫妻の背景を考えたのだ。二人は疑問を書き出し、それを持ってチャンダーに会いに行った。チャンダーがそのすべてに答え、強力なチームが誕生した。
    キャスティングを締めくくったのは、イギリスでロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの一員として活躍する名優、ローレンス検事を演じたデヴィッド・オイェロウォだ。「アメリカン・ドリームとは何かを知的に解析した脚本に惹かれた」と語っている。
  • [ 3 . 舞台] 最も犯罪が多発した危険な1981年のニューヨークを再現

    舞台はニューヨークの5つの行政区周辺で、時代設定は街史上最も犯罪件数の多かった1981年。1920~60年代にかけて遂げた急成長から一転、1970年代の燃料危機から抜け出すと、街は予算削減、犯罪率増加、政治的腐敗などが原因で停滞した。1980年代の幕開けは、いわゆる安全な郊外への“白人の大移動”がピークを迎える。チャンスを求める移民たちの新たな波が5区に流れ込むと、街の雰囲気と構造は一変した。資本主義の中心地で事業を営むことに緊張と複雑さが伴った。市役所、マフィア、ビジネス界の間で決まりごとが複雑に確立されていた日々は終わり、成り上がろうとする小さな事業の経営者たちにとって、自分の身は自分で守らねばならない状況となったのだ。
    プロダクション・デザイナーのジョン・ゴールドスミスは、ニューヨークを主人公と同様に転換期を迎える街として表現しようとした。イメージの参考にしたのは、1970年代のニューヨークの荒れた街並みを撮ったカール・バートンや、1978年から79年にかけて18の異なる地域に住むブルックリンの住人たちを撮影したディナンダ・H・ヌーニーなどのビンテージ写真だ。
    また、当時のシアーズのカタログや建築雑誌も入念にチェックした。
  • [4 .衣装]オバマ大統領御用達の仕立て屋のスーツとアルマーニの高級コート

    衣装のカシア・ワリッカ=メイモンは、時代を表現するのに控えめなアプローチを考えていた。チャンダーも、「この時代のヒット商品を探索するような映画にはしたくなかった」と語る。「これは人間の物語だ。彼らが着ている洋服、出入りする場所は単純に映画の中で機能しているものだ。その点においてカシアは長けている。
    シーンを乗っ取ることなく、登場人物が着る衣装の光の具合を操ることで美しさを表現する達人だ。おかげで観客はもっと深いテーマに焦点を当てることができる。それに役者が輝ける余地も残している。」
    チャンダーの心を強く引き付けたイメージの一つが、当時のバーニーズの広告の清潔なスーツを着た男性だった。「非常にクラシックなスーツで美しく仕立てられていたの」とワリッカ=メイモンは思い出す。「私たちはこの服を再現する必要をすぐに感じたわ。卓越したブルックリンのスーツメーカー、マーチン・グリーンフィールド・クローシアと共同でダブルのスーツを作り上げたの。」
    それは、ブッシュウィックに拠点を置く特別仕立ての正統派の男性服メーカーで、オバマ大統領も顧客の一人だ。この事業主が辿ってきた軌跡は、アベルのものと酷似している。グリーンフィールドは、1977年に元雇い主から工場を購入して自分の会社を設立し、国内で最高級の仕立屋へと成長を遂げたのだ。グリーンフィールドは、アイザックの寸法に合わせていくつかのスーツを仕立てた。「衣装はその人物の皮膚ではなく、最後の層であると常に感じているの」とワリッカ=メイモンは説明する。映画の後半、ブルックリンの工業地帯で敵を追いかけるアベルは、清潔なキャメルのウールコートを着ていて、それがまるでスーパーヒーローのマントのように彼の背中になびいている。
    他に特筆すべき衣装は、アナが着ているアルマーニの高級感あふれる白の冬用ロングコートだ。チャステインは以前から、ジョルジオ・アルマーニと彼の家族と親しい仕事関係を築いていて、式典のレッドカーペットでもアルマーニに身を包んで登場している。チャステインとワリッカ=メイモンはミラノでアルマーニとミーティングを開き、アナの外見にフィットする1980年代前半のスタイルを入念に調べた。
  • [ 5 . 撮影] 近年最も寒い年に撮られた、真の人間の物語

    撮影監督のブラッドフォード・ヤングは、『タクシードライバー』や『フレンチ・コネクション』のような70年代を象徴する映画で見られるニューヨークの典型的なイメージに頼りすぎないようにしたと語る。「二つの映画に共に欠けているのが、上品で洗練された荒廃だ。私が実現したかったのは、その荒廃をより鋭く正確な形でフレームに嵌め込むことだった。」
    撮影は、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタテンアイランド、ロングアイランド、そしてウエストチェスターで、40日間に渡って行われた。ニューヨーク史上でも特に厳しい冬で、撮影日の大半は気温が氷点下を下回り、定期的にやってくる嵐が野外のセットに雪をまき散らし、165センチも積もった。「寒さに対応するだけでなく、1日に天気が5パターンも変化した」とヤングは振り返る。
    「でも悪天候が、私たちが伝えたかった粗野で真実味のある質感を作り出し、映画をより力強いものにしてくれた」とゴールドスミスは指摘する。「アベルとアナが、それぞれ戦っている様子にはある種の孤独感があり、雪がそれを大きく助長してくれた。雪景色の中、吐く息は白く、ポケットに手を入れて肩をすくめている。これらは映画の中でも特に印象深いシーンとなった。」
    最後にチャンダーがまとめる。「人生には白黒ハッキリした選択なんてない。いつだってグレーだ。そういうグレーの領域にこそ、真の人間の物語がある。本作でもそこを描いたつもりだ。」